何かがあると思い夕香は警戒して二、三歩後ず去った。そしていつでも殴りかかれるよ
うに拳を握り締めて月夜の背を見た。月夜はいつもより大げさにため息をついた。
「…………あんの馬鹿」
 月夜の口から漏れたのは月夜の口調ではない言葉だった。打たれた頬を拭い頭を掻いた。
「何者?」
 静かに訊ねると月夜は肩をすくめていた。
「月夜と似て対となるもの」
 難しい言葉に首を傾げると相手は笑ったようだった。
「知ってるか? 月夜はな、二重人格なんだよ」
 明るいその口調にかなりの違和感を覚えた。振り返った顔には薄ら笑いが張り付いてい
た。――おかしい。
「そう恐い顔すんなって、水神にすぐ意識乗っ取られちまいやがったな。月夜の奴」
 はっきり思った。これは月夜ではない。月夜の形をした何かだと。
「妖か?」
「いいや、都軌也だ」
 言葉遊びのようだがそのイントネーションが違うのを見て眉をひそめた。相手は、都軌
也は辺りを見回して結界を張った。音が外部に漏れないようにしたようだ。
「嵐の奴もたまに呼んでたからな、俺のこと」
「どう言うこと?」
「お前はトレースでこいつの、俺達の過去は知っていると思う。それを前提に話を進める」
 そう宣言し都軌也は地面に腰を下ろし胡座を掻いた。それに倣い夕香も腰を下ろした。
「親父がいなくなって俺は親族をたらいまわしにされた。宗家の血を継いでいるからな、
利権争いの道具として使われたんだよ。当時十三の子供を。しかも、父親が目の前で惨殺
されたにもかかわらず大人たちは好都合と言うようにな」
 その声には月夜の声なのだが月夜の声より感情がこもっている。ひどく言うと月夜より
人らしい声音だ。
「耐え切れなくなった俺はもう一つ人格作って自分の殻に篭っていた。その殻が、月夜。
……身勝手だけどな。とても辛かったんだ。そして、一人になりました、返してください
って、できるわけないから、意識をあいつ、月夜に渡した」
 自嘲気味な声音に張り付く表情は自分自身に向けられた嘲笑。俯き加減に伺える表情に
夕香は身の毛がよだった。
「出てくるつもりはなかったが、何でそんな俺が出てきたかというと、あいつの意識がこ
この水神に誘われちまったからだ。まあ、死んではないだろう」
「何で、誘われたの? 取り戻せば?」
「ああ、取り戻したら元に戻る。体を空にしておくのは危ないからな。んだから俺が出て
きただけだ。あとは、俺は火性なんだけどな、正反対に作ったから水性が宿ったらしいん
だよね。そこら辺は俺もよくわかんないんだけど水神の水気とこれの水気が共鳴して行っ
ちゃったんだ」
 困ったもんだよと肩を竦めて言う都軌也に違和感を覚えた。そうだろう。こんなに饒舌
で軽い口調で話す月夜はいない。
 ふと明るい月夜は今のこの姿からは想像がつかないだろうがなと寂しげに呟いた嵐を思
い出した。確かに想像つかない。想像ついてもここまで軽い奴だとは思わないだろう。強
いて言うならばこの軽さは昌也に通じる。そこら辺は兄弟、似たのだろうか。
「まあ、もうすぐ日が暮れるからな、ここで一度夜を明かした方がいい。夜のここは危な
い」
 月夜とは違う鋭さで都軌也は辺りを見回した。夕香は相変わらず警戒を怠らないまま都
軌也を見据えて口を開いた。
「月夜は」
「中心部にいる。池の中心の祠のあたりにいるな。あそこなら大丈夫だ。水神の気配もす
る。加護を賜ってるんだろう。とりあえずあの神域内には妖の類は入れない」
 落ち着けと言って都軌也は溜め息をついた。とりあえずお前は休めと続けて夕香を宥め
た。そして夕香を座らせて都軌也は立ち上がった。
「薪取ってくるから待ってろ」
 結界から出て杜へと消えていった。もうじき闇が辺りを包み込む。

 

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